Whanaungatanga〜繫がり〜

ニュージーランドのマオリ語で家族のような繋がりという意味。このブログでは科学的に人生をより豊かにするためということをテーマに、スポーツ、健康、生き方、コーチングについて記していきます。日々気づきや学びをどんどんシェアして行きます。

ティーチングとコーチングの違い

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コーチングとティーチングとは何が違うのでしょうか

 

 

だいたいのイメージとして

コーチングとはスポーツ現場.....?

ティーチングは学校......?

こんなイメージでしょうか

 

 

おそらく日本ではコーチングの概念というものはほとんどありません。

 

 

なぜか

先生もコーチも

何かを教える人と考えているからではないでしょうか。

 

つまり、

日本では、先生とコーチが一緒だからです。

 

しかし、本質的には全く違うものなのです。

 

そこで、ティーチングとコーチングについて簡単に見ていきたいと思います。

 

ティーチング

学問に焦点を当て、テキスト、研究室、実験を制御された設定で指導します。

 

また、標準化された

 

テキストや教室の課題について

個別に成功したことによって評価し、

 

 

競争には少ししか焦点を当てないことが特徴です。

 

学生に適用であるジェネラルなスキルに焦点を当てています。

 

コーチン

 

運動選手や学生の心と体のモチベーションを感じつつトレーニングを行います。

 

またスポーツやチーム内での

人間力や動機付け、各個人の長所や短所、能力を見いだします。

 

 

ここで、全く違う点は勝敗によって測定されること

 

グループワーク、競争、そして相手を打ち負かすことに焦点を置いています。

 

違い

もっとも違うところは、アプローチについてです。

 

例えば、学生はよく彼らが楽しいと感じるスポーツに参加します。

 

彼らは参加することを選択するため

コーチは彼らの好意を裏切るわけにはいきません。

 

また、

チームとコーチとの間にはかなりの時間を費やします。

 

結果、両者の間には個人的な結びつきが増加します。

その中で勝利、利益を目指していくため

 

相互の尊重、理解納得といった密接な関係が必要になります。

 

 

また、教師は

一時間に一つのクラスを担任するため、

 

多くの生徒の間で時間を作る必要はほとんどありません。

さらに、義務教育の間は、好き嫌い関係なく

授業に出席する必要があり、

テキスト、決められたガイドラインに応じて教えるため

生徒と先生とに密接な関係や相互の尊重を確立する

必要がありません。

問題点

私は、日本では両者ともに考え直す必要があると考えます。

2つ理由があります。

1つ目に先生は評価の対象を個人にうつしていく必要があると考えるからです。学校のテストでは常に順位づけされ、また公開テストという名前で全国レベルでも順位が決められます。モチベーションが上がる子もなかには多数いると思いますが、勉強に興味がなくなる子も多数いると思います。先生は勉強することに興味をもたせる必要があるのではないでしょうか

最後にコーチに関しては深刻です。日本ではコーチング文化根付いていないからです。

コーチングの本質についてわかっていない人が多いと感じます。学校でクラスを扱うように、全員に同じアプローチをしている人が多いのではないでしょうか。納得と理解、満足といった観点から見ると海外と日本では大きな差が生じていると感じます。

 

 

日本の先生は素晴らしい人が多いと思います、なぜなら平均して高い学力を持つ生徒を持っているからです。しかし、教え過ぎです。自ら考えない人が多すぎませんか?また、アプローチの方法から見ると個人が伸びない環境であり、決められた枠の中でしか大きな成果をもたらせない人が多いのかなと感じます。言われたことしかできないなど。

 個人を見て、個々をみて、個々を評価することで、枠が取っ払われた時にどう判断していいか能力がつき、将来的に、自分が得意なことをはっきり言え、自分のラインに応じた意思決定ができるようになると思います。

 

エディージョーンズ氏が某大手外資銀行のサポートをするなどスポーツチームのマネジメントがビジネス会社で注目を浴びています。

 

 今後、日本はグローバル化に突入します。そういった中で必要なことは、ビジネス、スポーツにおいてもコーチの成長は必要不可欠なのではないでしょうか。